ボサノヴァ猫さん

 

 
「あなたのことが好き。だから、ねえ、ちょっとだけでいいからさわらせて」
 
そんな私の切ない懇願を彼は無視した。フン、とそっぽを向かれてしまった。彼の前に、私が愛情をもって用意した、ご馳走の皿。彼はすっかり平らげてしまっている。
 
「これだけ尽くしてるのに、ひどいじゃない。ちょっとだけでいいのよ」
 
つれないひと。これだけ私が熱を上げて貢いでいるというのに。
 
私は彼を見た。鋭いまなざしのブルーのひとみ。可愛らしいピンクの唇。つんと上を向いた鼻。形のいい薄い耳。筋肉質の引き締まった体。つややかに光る毛並み。しなやかなしっぽ。ひげの根元の柔らかそうなふくらみ。足のうらの肉球に、触ってみたい。
 
彼はきっと焦らしているのだ。もどかしそうにする私を楽しんでいる。悪い人、いや、猫か。
 
遊ばれていると分かっていても惹きつけられてしまう。彼の妖艶な魅力。自信に満ちた、おすましの態度に、私は夢中になっている。彼に恋してる。
 
ある日裏口を横切った彼の姿に、私は魅了されたのだ。夕方色のカーテンをバックにした、美しい彼のシルエットが私の心を射止めた。
 
何度もアプローチをかけて、餌で釣って逆ナンパした。だからここ1ヶ月間ずっと私は彼の虜だ。
 
毎日彼は私に会いに来てくれるようになった。でも不誠実な彼は定刻には来てくれない。ただ、夕方前後にふらっと現れる彼。
 
彼を名前らしい名前で呼んでない。教えてくれなかったから(当たり前ね)。いつしか私は彼を「猫さん」と敬称をつけて呼ぶようなった。
 
「ねえ、猫さん」
 
「・・・・・・・・」
 
「あなたがすき」
 
こんな風に何度も告白するけれど、彼は私を一向に受け入れてくれない。でも、きらいになれない。
 
口の周りを丁寧にきれいにして、しっぽをゆるやかに振りながら、いつものように猫さんは、食事が終わるとさっさとどこかへ行ってしまう。これだけ尽くしてる私に未練がないのかしら。
 
「今日も猫さんは触らせてくれなかったわ」
 
深夜、店を閉めて、グラスを拭きながら、私はクラウドに愚痴を言った。彼ってひどいと思わない?
 
最初は笑って聞いてくれていたクラウドだけど、最近はなぜか猫さんの話を嫌がるようになった。彼は猫さんに嫉妬しているようだ。私はそんなクラウドをかわいいと思う。
 
今日も、カウンタにひじをついて、コーヒーカップのふちをなでながら、クラウドは不満を言った。
 
「なあ、俺は?」
 
「何が?」
 
「俺はってば」
 
いくらでもさわっていいぞ、なんて言って両手を広げた。
 
「何よ、いっつもべたべたくっついてくるじゃない」
 
「飽きたのか?飽きたらポイなのか?捨てちゃうのか?」
 
「もー、何よ」
 
「俺だってかまってくれ」
 
「かまってるじゃない、別に今日ぐらい」
 
「こんなに尽くしてるっていうのに」
 
ほら、見てくれ。
 
「ティファが欲しいって言ってた、ボサノヴァのCD。買ってきたんだ。探すのに苦労したんだぞ」
 
南国的な、ブルーのジャケットのCD。
 
「そんなこと言ったかしら」
 
「言ってたぞ。コンピレーションの、ジャケットがブルーのヤツが欲しいって」
 
コスタにあるからって、大騒ぎして駄々こねたじゃないか。そう言ってクラウドはふくれた。
 
「猫はティファに何もくれないじゃないか」
 
「猫さんはかわいいもの。癒しをくれてるわ」
 
「俺はー」
 
「何よ」
 
「じゃあ俺は猫になってやる」
 
「無理よ」
 
だってあなたの顔って、猫じゃなくて犬系だもの。そんなことを思って笑ってしまった。言おうかと思ったけど、結局彼が傷つくだけに思われたので、やめた。
 
不機嫌そうなクラウド。不安そうなクラウド。誠実で、熱心で、忠誠的なクラウド。
 
猫さんとは大違い。まるで逆。
 
だけど、だいすきよ。
 
部屋に戻るとき、彼は私を引きとめた。どうやら同じ部屋で寝たいらしい。私は彼が買ってきてくれたCDを思い出した。CDを聞くためのオーディオデッキは彼の部屋にある。もうひとつ、店に設置されたヤツ。
 
せっかく買ってきてくれたんだし。
 
私はそのままクラウドの部屋に引きずり込まれた。でも部屋の中に入ってもくっついたりしない。私はCDをデッキに入れて、ボリュームをしぼった。
 
軽快なギターのメロディと、ゆったりとしたリズム。ボーカルレスの、ヒーリングを前面に押し出した曲。私はリラックスするのを感じた。
 
「ああ、これこれ」
 
「だろ?」
 
クラウドが窓をあけると、涼しい風が入ってきてくれたので、私は満足する。
 
こんな夏が欲しかった。
 
暑い日が続いて、いらいらすることも多かったし、それでクラウドにCDが欲しいだなんて駄々をこねたのを思い出した。
 
もう夏の盛りも越えたし、これからは涼しくなるばかりだ。そう思うと、部屋に流れるボサノヴァのリズムのように心が軽くなり、おどった。
 
ベッドに飛び込む。彼が追いかけてくる。少しだけじゃれついて、そのまま私たちは眠った。
 
「クラウド、音楽と猫さんとあなたがすき」
 
「どれが一番?」
 

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翌朝目がさめて、すぐにベッドから抜け出す。音楽はかけっぱなしだった。
 
自分の部屋に戻って、いつものように服を着替えて、顔を洗って、食事の支度にかかる。レタスが切れるときのパリパリとした音を聞きながら、今日はお店であのCDをかけようと考えた。
 
後ろで足音がして、めずらしくクラウドが早起きをしているのに気づいた。この人の足音は子どもたちと違う。
 
クラウドが私を後ろ抱きにした。このままじゃ作業できない。
 
「何してるの?」
 
「んー、求愛行動」
 
私はちょっと笑った。まったく。
 
「もう応えてるわ」
 
「じゃあ、もっと」
 
もう、ばか。離して欲しいんだってば。
 
子どもたちが起きてきて、早起きしているクラウドに驚き、べたべたくっついている私たちを笑った。恥ずかしいから離して欲しかったけど、子どもたちが嬉しそうにはやしたてるから、なかなか引き剥がすことが出来なかった。
 
「ラブラブ」マリンが笑った。ひゅー、とデンゼルが追い討ちをかけて、おなかをかかえて笑った。そんなに笑わなくったっていいじゃない。
 
昨夜の言葉に訂正。好きなものに子どもたちも。どれが一番?だなんて野暮ったいことは最初から考えないでおく。
 
その日、猫さんはうちに来なかった。次の日も、さらにその次の日も。
 
私はがっかりして、悲しんだけれど、クラウドは嬉しそうにして、そして私を慰めた。
 
ようやく傷の癒えた2週間後、猫さんは彼女と思わしき人(猫)を連れて、うちに現れた。
 
「ひどい、私は遊びだったのね」
 
「・・・・・・・・・・」
 
猫さんは黙ったままだ。そういえば私はこの人の鳴き声を聞いたことがない。
 
それにしても、綺麗な彼女だ。嫉妬をする気力も失せるくらい。お似合いだから、おもわず拍手を送りそうになってしまう。
 
私は家に彼らを招いて、おやつを振舞った。きっとこれが猫さんと最後になる。
 
「幸せになってね、応援してるわ」
 
「・・・・・・・・・・・・・」
 
「でも、猫さん」
 
「・・・・・・・・・・・・・」
 
「あなたを許さないわ。鳴き声ひとつくれなかったじゃない」
 
「ニャア」
 
 
 
 
 
―END―
 
私は猫派です。
だから今回は書くのが楽しかったです。次回、『猫さんが子どもを連れてやってくる!?』ってのはないですけどwww
べたべたクラウドはこれからも書きますよー。
 
 
 

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