ちょっと前に日差しが弱く、涼しくなってきたかと思ったら、もう手先が冷たくなるような季節になった。
それでも昼間はあたたかい。このまま昼寝でもしたいくらい。ベッドにごろっと横になれば、たちまち眠ってしまうだろう。
ただ残念なことに、ここは自分の部屋ではない。屋外で、しかもバラムでもない。F.Hだ。
買い物があるからとリノアとセルフィに(無理やり)誘われて、今は別行動だ。女子ふたりは仲良く買い物をしているはずだ。想像するに、今回の俺のミッションは荷物持ちだ。買い物袋をどっさりと抱えているはずの女子たちと、午後5時に落ち合うことになっている。
昼食を終えて解散してから、俺は自分の買い物もした。ここでは武器に必要なものが手に入りやすい。部品も、メンテナンスに必要なアイテムも。でも、あまり買い物に時間をかけないタチだから、小一時間で終わった。残りの約四時間はただの暇な時間でしかない。
しかしこれは予想していたことだ。適当な本を持ってきているから、たぶん大して暇にはならない。気温がちょうどいいから、本を読むのにはうってつけだ。
コーヒーを買って、駅前広場のベンチで本を読んでいた。
ふと手元が翳って、雲が出たのではないと思ったから、顔をあげたさきに老人が立っていた。
「読書かね」
「ええ」
ドープ駅長だ。
「お久しぶりです」
「ここには仕事に?」
前回あったときよりも、ずいぶん好意的だ。どうしたというんだろう。なんとなく警戒する。
「まあ、たぶん、半分ぐらいは仕事だと思います」
「たぶん、半分ぐらい?」
駅長は面白げに首をかしげた。俺が言ったことは間違いではないが、たしかに何も知らない人が言葉だけで聞くと、変に聞こえるはずだ。それでもやはり、この人の態度は前と違う。
「待ち合わせかね」
これも妙な答えになるが、待ち合わせで四時間前にいるやつなんていないから、「たぶん」と答えた。どうでもいいが、この人は質問ばかりしてくる気がする。
「つまりは、今暇なんだね」
「はい」
「お茶でもどうだね、招待したい」
俺は驚いた。どういう魂胆なんだろう。
しかしここまで好意的なんだから、断るわけにもいかない。実際に今暇であるし、ついて行ったところでこの人が俺を叩っ殺すわけでもないだろう。
駅長が先立って歩いてく。俺は黙ってその後ろをついて行った。
ただぼんやりとついて行くのも変な感じがしたので、少し景色を見てみたりもした。でもどこも同じようにごたごたした機械だらけで、雨ざらしの金属の表面にさびが浮いている。カンカンと何かを打ち付けるような音が聞こえる。海にある町のはずなのに、潮の香りよりも、この町はだいたいオイルのにおいがしてる。それはこの町の特性上、当たり前のことだ。
工事をしているようなところを横切った。張り出した鉄筋と、整理されてない道具がある。ここでオイル以外のにおいを覚えた。
シンナーの臭い。くらくらする、嫌な臭い。
シンナーを薬物として使用する違法なドラッグ使用があるらしいけど、こんなのを吸って気持ちいいだなんてイカれてる。
そもそも毒っていうのは相手に含ませることでダメージを与えるものだから、本質的には含ませ方が大事なのかもしれない。この悪甘いにおいが、くびり殺す。深く誘うことに本質があるとすれば、薬物の服用は魅入られていることなのかもしれない。
そんなどうでもいいことを考えてるうちに、駅長の家にたどり着いた。ぼんやりしてるつもりはなかったのに、いつの間にか。
玄関をくぐると妻のフロー駅長がいた。驚いた顔で俺を見て、その後夫を見た。
(どういうこと?)
そんな表情だ。しかたがないことだ。でも、この人も俺をもう目の敵にしていないことが感じられた。なぜなんだろうか。
俺は言われたとおりにソファに腰掛けて、紅茶をいただいた。紅茶なんてめったに飲むことがないけれど、おいしいと感じられた。
「最近はどうしてるんだね」
「仕事です」
「バトルもあるんだろう」
「ええ」
それ以上は聞かれなかった。くだらない世間話ばかりした。
この人たちは前のようにガーデンのやり方を非難しようとはしなかった。俺が委員長であることは知っているはずだ。まるでそういう話題に触れようとしない。無いとは思うが、前に少し話しをしたのが効いたのかもしれない。それとも説得をあきらめたか、考え方を変えてしまったのか。
何というか、これは俺の勝手なのだが、この人たちに意志を曲げて欲しくなかった。間違っていないと思うのなら、主張し続けて欲しかった。
でもそんなことを直接言うような図太さを、俺は持っていない。言ったとして、説得に応じて俺が剣を捨てるはずもない。
対立するはずの意見が、平行線上を進んでいるようで、結局はどちらも相手を叩き伏せるだけの武器はない。それだけなのかもしれない。会うたびにいちいち言うことでないだけで、腹の底にはきっと、たまっているものなのだ。
それともこれは歩み寄りの一種なのか?俺の情を通じてガーデンの方針を変えようとしている?さすがにこれは考えすぎかもしれない。
気がつくと手に持ったカップの中身を飲み干していて、おかわりをすすめられていた。
「また紅茶にする?それとも今度はコーヒー?」
「コーヒーを」
フロー駅長が立ち上がってキッチンに消えていく。でもすぐにひょっこりと戻ってきた。
「お砂糖は?」
「結構です」
「ミルクは」
「それも要りません」
「そう」
首を引っ込めて彼女はまた消えた。ドープ駅長が面白そうな顔をした。健康的な興味がこちらに向けられていた。
「ブラックが好きかね」
「ええ、苦いのが」
「まだ若いのに、通だな」
これはちょっとしたこだわりだった。コーヒーは徹底して苦くあるべきだ、というのが俺の哲学だ。甘かったり、やわらかかったりしたら、何故だか腹が立った。
ありがたいことにコーヒーは苦く、濃かった。でも少し熱すぎて、猫舌の俺はあまりに手をつけようとしなかった。でも恥ずかしいので「熱い」とは口に出せない。
上手にカモフラージュして猫舌である事実を隠そうとしたけど、すぐ見抜かれた。「君にもそんなところが」と笑われた。馬鹿にしたような笑いではなく、やはりこれも好意だった。ここまでされるとさすがの俺も警戒を少しだけ解いた。でも表情に乏しいタチだから、無表情のままだ。笑ったほうがコミュニケーションとしてはいいだろうが、それは頬に浮かぶ前に固まっていた。
一体俺は何をしていたんだろう。この人たちとくだらない話をするだけで三時間も消費してしまった。そろそろ待ち合わせの場所に行かなくてはならない。待ち合わせの時間には遅れたくない。リノアは平気で遅れてくることが多いけど、俺は一分も遅れたくない。
二人に軽い礼をして俺はここを出ることにした。二人とも玄関まで送ってくれた。
「お邪魔しました」
「またいつでも来なさい」
「ありがとうございます」
このとき俺はほんの少しだけ、笑った。
「あら」
フロー駅長がなにか驚いたような表情をした。
「あなた、笑った顔のほうが素敵じゃない」
「よく言われます」
ドープ駅長が大笑いをした。口を大きく開いて、良い歯並びが見えた。
「どうやら、やっぱり君は変わったようだ」
「また来なさいよ」
黙ってうなずく。あまり来たいとは思わなかったが、おそらくまた来ることになる。そのとき俺たちはどんな状況で、どんな立場なんだろう。いいものであって欲しかった。
駅まで歩いていく間、妙な心地よさが自分の中に漂っているのを自覚していた。他愛ない、大きなテーマを持たない会話がもたらす心地よさ。以前は嫌っていたものだが、今はこれも悪くない。駅長の言うとおり、俺は変わったようだ。
駅前に着いたときは午後4時45分過ぎ。ちょうど良かった。あと二十分もすれば、たくさんの買い物袋を抱えた女子二人がここに来るだろう。絶対にそうだ。重い荷物でなければいいと思う。
背中を空けず、見つけやすい立ち位置について、二人を待った。
待つのは前から嫌いじゃない。
―END―
前からF.Hの話を書いてみたかったんです。私は基本的に必要ならばバトルする、という意見に肯定的だったんで。F.Hの人たちの意見も間違ってはいませんが、まあ、お互いあまり傷はつけたくはないですよね。今回は核心に触れすぎるのはやめにしました。バトル嫌いで言葉で解決するといっても、ひどいことを言いかねないかもしれませんし。あったかく和解できたらこれほどいいことはありません。
短いものですが、意外にもふわふわした感じに仕上がったので、個人的には満足です。次回作への意識も満々ですよ。これからもがんばっていきます。