ビューラーという道具は、とてつもなく怖い。形状もそうだし、なんたってあのヒヤッとした感触、そして失敗したときにまぶたが挟まれて痛い思いをする。
「なっ、やだやだ、ちょっと待ってくれ」
「じっとしてなさいよ」
「無理だって、無理だって!」
俺は大騒ぎ。ソファの上でばたばた暴れるのをティファに馬乗りにされて押さえつけられる。映画やドラマでは、とどめを刺すときのポーズによく似ている。その様子を見て、そばで子どもたちがげらげらと笑っていた。笑うだけで、彼らは俺を助けようとはしない。
いきさつはこうだ。
バイクに乗るときにかけるゴーグルに、まつげがぶつかってすぐに汚れてしまう。白く曇ったゴーグルはとてもいらいらする。買い換えてしまおうかな。
そんなことをティファにぼやくと、彼女は「まつげに工夫したら?」と言ってきたのだ。
そのとき俺はティファの部屋のベッドの上にごろりと転がって、天井をぼんやりと見ていた。静かな夜で、この日はここで眠るつもりだった。
彼女が持ってきた道具はハサミのような形状をしていた。刃に当たる部分が丸みを持っていて、かちかちと動かしてみると、俺はなんとなくアイスクリームをすくうスプーンを連想した。
「じっとしていて」
とティファが顔を近づけてきた。ドキッとする。息がかかりそうになった。彼女の唇に目がいく。肩に手を乗せられ柔らかい胸がおしつけられて、さらにドキドキした。いつもなら、キスをしようとするポーズに似ている。今晩はこの部屋に来て正解だったようだ。
だけどそんな甘い感情はすぐに打ち切られた。目の前にさっきのアイスのスプーンのハサミが現れたからだ。それが目に触れそうになったとき、俺はびっくりしてのけぞった。
「何するんだよ」
「いいからじっとしてて」
「何するんだってば」
「まつげをカールさせるの」
「は?」
まつげをカール?どういうことだ?そしてこれと何の関係があるのか?
「クラウドのまつげってね、長いのにけっこうまっすぐだから、これでカールさせるの」
「どうやって」
「だから、じっとしてて」
ティファはずいぶんと楽しそうな声で言った。わくわくしているのだ。俺はまだ意味が分からず、固まっていた。さっきの道具が近づく。思わず息を呑んだ。
道具が目に押し当てられる。冷たい感触に、急に恐怖が沸き起こった。
いやだ。なにこれこわい。
悪い予感は的中した。まぶたに痛みが走ったからだ。
「痛ってぇッ!」
「あっ、ごめん」
「ちょ、何これ、何だよこれ!」
「大丈夫、だいじょうぶ、次はうまくやるから」
「やだよ、何したんだ」
カチカチと鳴らされたはさみに似た道具。こいつは一体何なんだ。こいつで一体どうしようというのだ。
「これでね、まつげをはさんで、あとをつけるの」
「あと?これで?」
「うん、上手にすれば、まつげが上向いてすごくいい感じになるの。マリンもよくやるわ」
「へえ」
ティファはもう一度道具をこちらに向けた。俺は慌てた。
「もう、もういい!やめる!」
「えー、せっかくビューラーできると思ったのに」
「やだ。もうしない」
「ざんねん、クラウドちゃん」
「その名前はやめろよ」
こんなものなんてつかわなくても、ティファのまつげはふわりと上に向いているはずなのに、なんでこんな恐ろしい道具を持っているんだろうか。
その晩は彼女に警戒しながら寝た。寝ている間にアレを使われるかもしれないから。そんなことを考えていたから、うまく寝付けなかったし、変な夢も見た。
だからこの日は早起きだった。ティファがくすくす笑って、「おとなしくしてればよかったのに」と言った。おとなしくしてたまるか。
ああ、チクショウ。今日は仕事がないから思いっきり朝寝坊しようと思ってたのに、目がさえてしまっている。だらだらと身支度をすまして、リビングへ向かう。
リビングへ行くと、マリンが駆け寄ってきた。
「見て、クラウド」
「ん?」
「これ」
彼女は自分の目を指さした。まつげがカールして、上を向いている。彼女の愛らしい瞳と、しぐさもあって、より可愛らしく見せた。思わず微笑む。
「かわいい」
「でしょ」
俺はマリンを抱き上げた。彼女はにっこりして、こっちを見てくる。
「・・・・・・・・・」
俺はここでこの子の魂胆に気づいた。
にっこりとこちらを見て、おねだりしてるのだ。俺の肩にさりげなく手をそえて、顔をかたむけた姿は、魅力的で、少女にしては洗練されている。
「クラウドがしてるのも見たいな」
と口に出さないところにこの子の知性が出ている。賢い子だ。口に出せばノーと返されるのを分かっているのだ。だけど表情でねだるなんて、どこでこんな高等テクニックを身に着けたんだ。
デンゼルが駆け寄ってきて、とどめをさした。
「おれもアレしてるとこ見たいな」
目がきらきらしている。お前もどこでそんな顔を身につけたんだ。
俺はティファのほうを見遣った。彼女はにやにやして、アレをかまえている。かちかち。全部この人の仕掛けたことだと、俺は悟った。
結局策略にはまることにした。ここで断っては子どもたちに「けちで、頑固」というイメージを植えつけてしまうことになるから。きっとティファはここまで計算していたに違いない。やさしそうな人だけど、あれでなかなかやり手だ。
ソファに座らされ、俺は死刑台に立つ囚人の気分になった。ひとおもいにやってくれ。
隣に座ったティファはにっこりした。すごく嬉しそうだ。普段見せないぐらいのいい笑顔だから、俺はちょっとさみしくなった。
「じっとしててね」
銀色の道具が鋭く光っている。近づいてきて、俺は思わず息を止めた。
冷たい感触。それが動いたとき、
「あああ、やっぱりやめる!」
「どうしてよ!」
「無理、マジ怖い!」
「観念してよ」
「いやだ!」
ソファから飛び出そうとしたけど、引き戻されて仰向けにねじふせられた。ティファが馬乗りになってくる。
けっこう大胆なポーズだ。できればこれを夜にやって欲しい。
なんて考えている余裕は一切ない。冒頭にあるように俺は暴れて、子どもたちはそれを見て喜んでいる。手を叩いて、お腹を抱えている。助ける気はないようだった。
何回かの失敗を経て、なんとかうまくいった。ティファが手を叩いて「かわいい」と言った。マリンも同じような感じだったが、デンゼルだけは大笑いしていた。さっきよりも増して笑っている。笑いすぎて息が苦しそうだった。
「これで仕事も楽になるね」とティファはずいぶんと嬉しそうだった。こんなに明るい表情が見れるとは思ってなかった。
「そうなのか」
「ね、だから明日もするから」
「なんで」
「だって明日になったら元に戻ってると思うし」
俺はがっくりした。傍から見ても分かりやすいぐらいのリアクションで。どっと疲れが来るのを感じていた。久しぶりにあんなに声を出した。
デンゼルはまだ笑っていて、俺は思わず彼を捕まえた。マリンが「次はデンゼルね」というから、彼はびっくりしてさっきの俺と同じ状況になった。
女性陣はその日一日中機嫌が良かった。対照的に俺たち男はぐったりしていた。俺は仕事がオフの日にはたいていティファの店を手伝うけれど、そのとき目ざとい常連に「お、目が」と言われてげんなりした。別にそういう趣味ではないのに、勘違いをされてしまった。
店を閉めて、シャワーを浴びたらティファの部屋に飛び込む。今日も懲りずに彼女の部屋で寝る。ティファは髪を結んでいるところだった。
ベッドに潜り込みながら、俺は彼女のきれいな首筋を見ていた。白くて、噛み付きたくなる。
「あーあ、馬乗りになられて嫌になるとは思わなかった」
「そう?私は楽しかったわ」
「じゃあ今から乗ってくれよ」
「絶対いや」
「絶対なのか?じゃあ俺が」
「結構です」
「つれない」
「もう眠いんだもん」
「俺だけやられ損だ」
「損じゃないわよ。明日のリハーサルだと思えば」
「もう二度としない」
「えー、つまんない。せっかく楽しみが増えたと思ったのに」
だんだんまぶたが重くなってきて、自分が眠いんだと気づいた。今夜はティファは攻撃してこないから、しがみついて寝たい。
「ティファ、早く来いよ」
「いや、命令しないで」
「いいから、早く」
「待ってて」
ティファはなんだかよく分からない水をつけていた。俺はあれをつけたときの彼女のにおいが好きだ。
ドレッサーにはたくさんの意味の分からない道具があって、さらにこれを全部使うとどうなるのか俺には分からない。
本当は化粧をしないで欲しかった。準備している間俺は近くに寄らせてもらえないし、化粧をしているときの彼女にキスをしようと思えば「化粧がくずれるから」と拒否される。なにより素顔の彼女が、好きだ。
そんなことをしなくても、あなたは美しい。
俺がそんな風に言えればいいのに。
そうすれば化粧をしなくなる可能性だってある。実際には照れるからこの言葉は口にできないけれど。
ティファはものすごくびっくりするだろう。そして何かあったの?と聞かれて終わるのがオチだ。
ごろりと寝返りを打った。うつぶせにしていても、彼女がベッドに潜り込んできたことが分かる。
温かい体温と、彼女のいいにおいがした。
―END―
予想外にギャグな展開になってしまいました。クラウド弱すぎるww
タイトルの「ソカオ」なんですが、単純に「素顔」の間違った読み方をしただけどいうものです。スッピンや、普段見ない顔とかって特別ですよね。
てか「クラウドちゃん」が出るとは書き始めは考えてなったので、出せて嬉しいです。